小堀桂一郎先生の文章に憧れて、正仮名遣いに挑戦してみたけれど、なかなか定着しない。

正字正仮名で育った世代の先生方には、背景に継続した生活の蓄積があるので、不自然さがない。山本夏彦『完本文語文』によると、文語文の生活がないと文語文が書けないとのことだった。その感覚はわかるような気がする。正字正仮名は、擬古文だけでなく、口語文の表記法としても優れたものであることはわかる。ただ、それが自分になじむまでには、まだまだ蓄積が足りない。

正字正仮名を書いてるときのちょっと距離のある空気感というのに、なかなか慣れないのだ。ただ、文語と口語がはっきり分かれていた時代において、文語としての擬古文を書く時にも、こうした距離感があったのだろうと思う。なので、tweetや普段の記事は新仮名遣いになってしまうけれど、たまには、まとまったものを、正字正仮名で書いてみたいとは思っている。いつかは擬古文にも挑戦してみたい。